一幕

「だーくそ!黒曜のヤツ!好き勝手なこと言いやがって!」

 お子様じゃねぇし!もう二十歳だし!
 腹の中に燻ぶるものを、唾と一緒に吐き出すようにミズキは語尾を強めて吐き捨てた。踵から足の裏全体にかけて強く床へと叩きつけて歩くその足取りからも、言葉からも、彼が今どういう感情を持っているのか。怒りの色でいっぱいだというヒースだけじゃなく、見知らぬ人だって一目瞭然だろう。
 先程まで身体から発していた熱は時間の経過と、先程までのやり取りですっかりと冷えてしまい、口を閉ざしても苛々とした何かが湧き上がってくる。
 時刻は〇時二十分過ぎ。本来であれば、終電などの関係もあり、営業時間はそれほど夜遅くまで開いてはいない。
 夜もふけたこの時間は店の中も外も静かになっていくのだが、今回はいつもと違っていた。
 高らかに聞こえてくる力強い歌声と、それを引き立てる激しい音楽。そしてそれに呼応…返事でもしているかのように、甲高い声がフロアを通し、ステージからバックステージを通して。此処、従業員専用の廊下にも聞こえてきていた。しばらくこの歓声は止むことはないだろう。
 西暦、二〇二一年。日付、一月一日。二○二○年を自分達チームBがしっかりと締め括った後、新しき年を、チームWが今、行っているのだ。

「まあまあ。チームWが正月をやるっていうのは前から分かってたじゃん。お客さんもそっちが目当ての人が多かったのも事実やし」
「そういうことじゃねぇよ!」

 怒りという感情によって身体が力んでいる後ろ姿を見ながら、藍が軽い調子で声をかける。
 恐らく、ミズキが怒っている理由は客を横取りされてデカイ顔をした態度についてだろう。もしくは、別のチームに黄色い悲鳴を上げる客の態度もだろうか。
 そう考えた藍は、頭の後ろで両手を組み、ミズキの姿を見ながら言葉だけ宥めた。
 しかし、それでは彼の怒りは収まらなかったらしい。藍の言葉に対して噛み付かんと言わんばかりの怒声が返ってくる。そこまで怒ることもなくないやろ。軽やかな足取りでミズキを見ながら藍はほうと息を吐いた。
 正月、クリスマス、ハロウィン。こういう類のイベントは日にちがはっきりしている為、あらかじめシフトを決める段階でどのチームが担当するか決めている。特にケイや黒曜、ミズキを入れたトップ勢の五人は、経営関係も担っていたケイやオーナー、運営からの伝達で、キャストの誰よりも早く入手出来る。ミズキの耳にもそれは入っていたはずであり、お客さんだって、それが目当てで来たW推しの人がほとんどのはずだ。フライヤーの作業をしていたチームKのメンバーの姿は、記憶に新しい。年末にやったこちらの方が、後出しなのである。
 今回のライブ、以前に晶とコラボしたことでW推しの人がBの曲を聞いてくれたが。それでもイチオシのWのショーを見て、より一層の興奮が湧き上がるのは仕方のないことだろう。
 さて、どうしたものか。藍は背後を振り返って他のメンバーの意見を仰ぐ。藍の視線に対して、リコは鬱陶しげに。金剛はほんの少しだけ困ったように笑い。ヒースは特に変化なしの様子が返ってきた。
 やがて、呆れたようにリコが一つため息をこぼす。

「はぁ……。いい加減そういうのやめてくんない?だからガキっぽいって言われるんだよ」
「ああ?んだと?」

 肩をすくめるリコの言葉を聞いて、先程まで床を踏みつけるように歩いたミズキが足を止める。そして勢いのまま振り返り、リコの姿を睨むように見つめた。これまでに何度もその目に睨まれたことのあるリコは、その目に恐怖を抱いているような様子は見られない。怒りの矛先を向けられたことで鬱陶しげに目を細めて睨み返す。双方に漂う空気に、見かねた金剛が慌てて間に入った。

「ミズキ、落ちついて。リコも、あんまり煽らないでよ。せっかくのお正月なんだし、ね?」
「煽ってないし。本当のこと言っただけ」

 どうどうとミズキを宥めつつ、リコに対して困った顔で告げる金剛に対して、リコの返答はそっけない。視線を外すリコの姿に金剛はどこか苦い笑みを浮かべて口を開いた。

「確かに、Wの公演が目当てな人が多かったと思うけどさ。それでも、俺達のショーでも十分に盛り上がったのは喜ばしい事だと、俺は思うよ」
「そーそー!金剛の言う通り!掃除大変やったけど、無事に公演も出来た。お客さんも盛り上がった!俺達もビシッと決めれたし最高じゃん!」

 金剛の言葉に藍がニコニコと満面な笑顔をみせた。楽しかったな〜とケラケラ笑う藍の顔を見て、ミズキが口をへの字にして閉ざした。藍の顔とは対象的にリコは掃除の事を思い出したのか、苦い表情を作る。

「大変どころの話じゃないでしょ。藍とか掃除下手くそだし、拭き掃除はクソ寒かったし、もう二度とああいうの、俺ごめんだから」
「リコはゴシュウトメみたいで面白かったな〜。なぁなぁ、あれってホスト時代で身につけた的なやつ?それともリコの趣味?」
「は?それ以前に俺が出来る男ってだけの話だから」

 御姑とか何言ってんの。怪訝な表情を浮かべながらリコは告げる。そこに再び金剛が宥める。そんな様子を見ては、ミズキは後ろで何も言わずに眺めているヒースへと視線をやった。先程のショーで全力を出し切ったせいなのか、いつものやる気のない低燃費に入ってしまったのか、靴底を床に擦っていきながらゆったりとした足取りで最後尾を歩いていた。ミズキの視線に気づいたヒースが、ゆらりとした動作で頭を傾けては、紫色の目をミズキの視線と向き合わせている。

「ヒース、大丈夫か?体調悪くなってね?」
「え?あぁ…うん。平気。大丈夫」

 緩慢な動きをしながらもしっかりと大きく頷くヒースの姿に、嘘はついているようには思えない。

「無理すんなよ?何かあったらすぐに言えよ」
「うん。ありがとうミズキ」
「ヒースもお疲れ様〜!ヒースの歌良かったよな〜!お客さんと一緒にぶんぶん!って出来たし!」

 くるりと踊るように振り返っては、あれ面白かったあと藍は口を開けて楽しそうに笑った。実際に楽しいのかも知れない。空気によってゆらゆらと揺らめく炎をイメージした振り付けや、いつぞやの時にバイクに乗りたいと言っていた藍やミズキが楽しげに付け加えられた振り付けなど、確かに見ている人も一緒に出来そうな振り付けはいくつかあった。あまり原典を無視しすぎても問題があるので何度かリコとミズキが喧嘩をしていたが。
 確かにと金剛が藍の言葉に頷きながら、そういえばと頭上を見上げながらある事を思い浮かべる。
 今回の公演は結果として無事に行われることになって、成功を収めることが出来たが、元々はヒースが曲を作り、それにミズキや藍達が振り付けなどを準備した後に公演に向けての交渉を行ったのが流れだ。掃除の途中、リコが言っていた疑問の言葉を思い出す。
 新曲だと渡してくれたヒースは特に理由も告げることなく年末に公演しようよと言ってきた。公演が出来ることに誰も悪い顔はしない。年末の限定メニュー……というのは流石に無かったのも幸いだ。おかげで練習や掃除に集中することが出来た。

「ヒース、一つ聞いてもいいかい?今回の公演についてなんだけど、何かキッカケとかあったのかな?」
「?……ごめん、意味がよく分かんない」
「あっ、えっと。ごめんね。なんて言えば良いのかな……、ほら、今回ヒースが年末に公演しようって言ってくれただろう?こう、何か理由があったのかなぁって……ごめん、俺も上手い言葉が浮かばなくて……」

 悪いことではない。楽しかったし、お客さんも喜んでもらえて、オーナーも悪い顔をしていなかった。だがこの言い方だとどこか問い詰めているように聞こえないだろうか。そう思った金剛は頭を掻きながら、困った顔へと変わっていく。金剛の表情に、ヒースが納得したように何度か頷いた。

「あー、ううん。そういうことか。良いよ、大丈夫……といっても、難しい理由は特に無いけど」
「そうなの?」
「炎神は原典が原典だったから、年末にやる方が良い感じに締めくくれたから……雷神との掛け合いも理由の一つとかでもあるけど」
「炎神の原典……」

 ヒースの言葉に、先程までやっていたショーの内容を思い返す。
 今回のショーの原典は確か北欧神話の中に描かれる「ラグナロク」という出来事を中心に描かれたものだったはず。金剛自身そういった造詣には疎いのだが、話を聞いたり実際にやってみたの印象として、世界最期の出来事として激しい戦いが行われたそれは、「雷神」だけではなく、「日蝕」にも通ずるほどの内容だ。
確かに、年を越した後に世界最期の日というのは、ちょっと困る。それならば年末にやった方がまだ原典とも合うし、語呂合わせという意味でも良いかもしれない。
 ぐらりとヒースの身体が大きく傾いた。

「え」

 ヒースは驚いたように目を丸くして、傾いた方向へと視線を向ける。銀髪の色がヒースの視界の端で見えた。

「難しい話すんなよ。ヒースの曲がかっけー!だから公演する!そういう事だろ!?」
「そーそー!ミズキの言う通り!チームBの曲最高!オレ等最高ー!」
「ちょっと……ミズキ、重い。藍も、叩かないで。痛い」

 ミズキの威勢の良い声と、藍のハツラツとした声が廊下に響く。背中と無遠慮に叩かれているヒースは顔をしかめながら二人に苦言をこぼす。しかし、それが収まる様子はない。リコが子供かよと零す声が聞こえてくれる。
 これは止めたほうが良いだろうか、いや、二人は悪気があってしているわけではないし、ヒースもそこまで痛そうには見えない。なんにせよミズキの調子も戻った。彼の切り替えの良さは、ある意味で尊敬に値する。金剛は三人の様子を見ながら、湧き上がる思いを笑みに変えた。

「あー……ほら。二人共、落ち着いて。今日は大変だったから、後でご飯でも食べようか」
「金剛!オレ、年越しそば食べたい!エビがのってるやつ!」
「あっ、藍ずりぃぞ!金剛!!オレはエビ三つな!」
「あはは、はいはい。ヒースは?御飯食べれそう?」

 右や左から聞こえる声に顔をしかめたヒースが、金剛の言葉に目を瞬かせる。話の矛先がヒースに向けられたことで、藍とミズキ、三人から少し離れた場所でリコがヒースへと向けられる。勿論、質問を投げかけた金剛もヒースの返答をじっと待った。
 四人からの視線に、ヒースはどこか居心地悪そうに、視線をわずかに宙を彷徨わせる。
 無言だったのは数秒。最初は藍、その次にミズキ、金剛へと視線が動く。

「…うん、食べる。ありがとう、金剛」
「おっ、ヒースもようやくご飯に興味を持った感じ?感じ?」
「金剛のご飯は美味しいけど、別にご飯自体に興味はないかな」
「んだよ、ヒース、もっと食えよ。後でオレの分けてやるから」
「流石にそんなにいらない」

 ミズキが食べる量は多いから半分でもきついし。過去何度か見たことのあるミズキの前に盛られた皿の量を思い浮かべながらヒースが言葉を紡ぐ。チームBの中では誰よりも食べるミズキと誰よりも食べないヒースの量は実に、対照的だ。ヒースの言葉に、ミズキと藍が顔を見合わせる。二人は大きく頷いてはニヤリと笑みを浮かべて、ミズキはヒースの右腕を、藍は左腕を掴んだ。。

「よし、掴んだな!藍!」
「もち!じゃ、金剛!オレ達、先にキッチンに行って待ってるから!」
「えっ」
「は?」
「まっ、ちょ……」

 言ったもの勝ち。言うが早いか。そんな言葉を体現するかのように、ミズキと藍は阿吽の呼吸とも言えるかのような流れる動作でヒースを腕を引き、瞬く間に三人は金剛とリコの前から姿を消した。いや、話の流れからして、消えたというよりはキッチンへ向かったのだろう。風のようなその動きに、金剛はぽかんと口を開けたまま呆然とし、リコもまた、呆けた顔で三人を見た後。

「……なにあれ…子供じゃん。だからガキって言われるってさっき話したばっかじゃん……」

 とぶつぶつと言葉を零す。唯一、今この場で彼の声を聞いている金剛は苦笑いを浮かべた。

「まぁ、機嫌も直ったし、良かったよ。リコはどうする?」
「女の子達放っておいて帰るって訳にはいかないでしょ。どうせアイツ等の公演が終わるのまだ先でしょ?」

 呆れたように、至極つまらなさそうに告げる言葉に、少しばかり苦笑を含ませてしまう。だが、それが逆にらしいとも言えた。
 リコの美点は対決の公演であっても、そうでなくても。お客の為に最後まで仕事を全うし、サービスを怠らない所だ。サービス業という仕事の経験があまりない自分には無い、リコだからこそ出来る良さだ。藍辺りならば、流石はホスト!なんて言いそうだが、金剛にはそれを言った後に上手くフォローが出来る自信がなかったので、そこまでは言わないことにした。

「そうだね。お客さんのお見送りもしないと。リコは蕎麦のトッピング何が良い?」

 代わりに、別の話題を出すことで、彼の機嫌を損ねない事にした。
 幸いにも、リコは金剛の言葉に対して、頭上を見上げて何かを思い浮かべている。

「鶏肉としめじの卵としじたやつ。どうせエビはミズキと藍が全部食べ尽くすでしょ」
「あはは、確かに」
「ヒースもあんな事言わなきゃ、狂犬コンビに連行されなかったのにさ」
「でも、ヒースが食べるって言い出すことがあんまりないから。二人ともきっとそれが嬉しいんだよ」
「なんで、コックのお前より嬉しそうにするんだよ……」

 このチーム。本当に変なやつばっかり。
 リコは誰に向かって言うわけでもなく、ため息と一緒に吐き出した。