六月二十三日




「今日の英語の授業のテストはやばかった。オレ、勉強してきたつもりだったけど範囲間違えてて、テスト用紙の内容見て頭が真っ白になってさ。でも、よくよく見たら分かる内容だったからとりあえず書けたから安心したんだよ。ああ、もちろん名前はちゃんと書いた。あれで零点になるのなんだかよく分からないんだよな。社会に出たら名前なんて存在しなくなるっていうのに、これって学校というカテゴリーからさらに分別された教室っていう枠組みと教育という概念による精神洗脳性、自己の形成能力に影響すると思うんだよな」

 カリカリ。カリカリ。

「昼休みはオレとGとMとE、隣のクラスのSとUとOでバスケやったんだよ。人数が奇数だったから一人審判になってもらってな。Mは動きは早いけどパス回しが苦手ですぐにディフェンスに取られちまうんだよな。ボールのキープ力は隣のクラスのUが一番でさ。やっぱりバスケ部って強いんだよな。オレも運動はそこそこ出来る自信はあるけど、Uからボール取るのキツいんだよ。Oはロングシュートくそ上手いし、ああでもそれはEも同じか。どっちも遊びでコートの端から端に向かって投げるんだけど外すんだよ。あれが入る確率は二十三万分の一だけどな。どっちが先にそれに気づくんだろうなぁ」

 カリカリ。カリカリ。

「だけど、地球の教育理論っていうのは面白いよな。義務教育だとか、情操教育だとか、道徳心だっけ。オレの惑星にはそういう概念が無いからどうにも勝手が分からないんだよな。いやこれは別に地球のことを馬鹿にしてるとかそういう訳でもオレがバカっていう訳でもないんだけれども、地球の言語でいうところのカルチャーショックっていうやつかな。聞いた話では海の向こうの国はさらに違う文化や考えがあるらしいし、ここまで多種多様にして共通性のない惑星っていうのも珍しいもんだよ。お前の惑星はそこのところ、どうだ?」

 カリ。
 私はシャーペンを止めて、顔を上げた。A君は椅子に座って私をじっと見ている。

「それは教育に対しての話?それとも、一つの星に文化が複数に存在いることに対する話?」
「なんでも良い。深い話してねぇし」
「特に何も感じないかな。私のところはそういうの特に存在してないから」
「ふうん」

 A君は私の返答に特に困った様子も、怒った様子もなく頷いた。私もそんな返事は特に気にせず、シャーペンを走らせる。A君はその様子を見てまた喋り出す。今日はいつもよりも溜まっているようだと私は思った。

 夕暮れに照らされた教室で、私とA君は二人だけで、それぞれの惑星に交信を試みる。
 否、正確にいうならばA君だけが交信をしている。という表現が正しいのかもしれない。私はそれを耳にしながらただただノートにシャーペンを走らせて、今日のなんの変哲もない日常を書き記す。私のこれは交信でも降霊術でもない、そういうものなのだから。
 私達の関係が一見すれば非常に良好な関係に見えるかもしれない。けれどよくよく知って考えると少しばかり不可思議なものかも知れない。A君がただただ話すことも、私がこうしてただ書き記すことも、お互いに咎めることはなく、お互いに最後までいることはない。気が済めばA君は立ち去り、私も書き終われば話はそこで終わる。そして、このやりとりは放課後の時だけで、それぞれがそれぞれの学校生活を送っている。

 私とA君は恋人同士でも、幼馴染でも、親戚でも、中学からの知り合いでもない。高校に入り始めて互いを認識し、互いに名乗りを講じた。出会って数ヶ月の赤の他人である。しかし、A君は私の事を仲間であると思っているようだ。
 A君が宇宙人であると思っているのはどうやら私だけらしい。そして、私が宇宙人であると思っているのも、A君だけらしい。
 銀河の枠を超え、ここから四番目の銀河系に存在しているのがA君の故郷であるという。惑星そのものに名前はなく、塵と星の粉が宙を漂い、そこに住むケスクトレラ星人は大地から溢れるゼクトという成分の雲を食べて生活するらしい。ケスクトレラ星人は一定の存在形成期間を経ると分解し、別の惑星の生物に寄生するらしい。そして定期的に惑星に向けて発信をするのだそうだ。なお、この話は全てA君から聞いた話であり、寄生した後はケスクトレラ星人は分解も何も出来ないらしいので、これらの話が全て本当であると証明する術も、確かめる術もない。

 考えれば考えるほど、不思議だと思う。彼の情報をまとめることを踏まえ、この関係になった経緯を思い返してみることにする。幸いにもA君は変わらずこちらの相槌も必要なく喋り続けていた。
 まずはA君について改めて私の中にある情報を出していくことにする。
 出席番号二番。身長は百七十二センチ。休み時間は同じクラスの同性とよく遊んでいるようで、クラスの人達との関係は良好。勉強はほどほどに出来るらしく、勉強が苦手だ、テスト嫌だと大きな騒ぎを起こした様子は見たことはない。部活には入っていないらしく、放課後は同性の友人達と遊んだり、部活に遊びに行ったりしているようだった。クラスの女子が時折、頬を染めては話題を出ることを考えるに、異性からの人気はあるらしい。
 陽気で明るく、いつも誰かと一緒に学校生活を満喫しているように見える普通の男子高校生。これが一般的な彼に対する印象だろうか。
 私はそこになんだか息苦しいように見えるという印象が加わる。特に明確な理由はない。彼の言動を眺めていると、私は窒息するかのような酸素の薄い空間を感じさせるのである。
 そんなA君と会話するようになったのは、入学してから数ヶ月経った頃になる。

「今日も日誌書いてんだな」

 ある日の放課後、シャーペンを走らせて書き連ねている私にA君はノートを見ながらそんな事を言った。私は一度A君を見て、すぐにノートに集中して書き続ける。A君はそのまま私の前の席に座って、その様子をただ眺めて見ているようだった。

「前の日直の時も書いてなかったか?」
「書いてたね」

 カリカリ。カリカリ。
 私が前に日誌を書いたのは二週間ぐらい前のことだった気がするが、よく覚えているなとその時思った。とは言っても、私は毎日、こうして放課後の時間は机と向き合っているのだが。

「日記とか書くのが、好きなタイプ?」
「あんまり好き嫌い考えたことないかも」
「ふうん」

 カリカリカリ。
 カリカリカリカリカリ。
 カリカリカリカリカリカリカリ。

「なあ」

 A君に呼びかけられ、私は手を止める。顔を上げれば、A君は私を見ていた。私が書いている間、ずっと見ていたのだろうか。そんな疑問を他所にA君は口を開いて私に尋ねてきた。

「なあ。オレ、宇宙人なんだよ」
「…宇宙人」

 真面目な顔つきで言い出したその言葉に、私はどう返事をしようか少し考えた。
 突拍子もなく言い出したA君のその言葉は、今に始まった事ではない。
 と、いうのも、クラスで度々そういった発言を耳にしたことがあるからだ。
 ある時は仲の良い友人に。ある時は、同じクラスメイトの女の子に。聞こえてきた話では、別のクラスにも自分が宇宙人だと言っているらしい。

 だが、それだけだ。
 友人が「なんだそれ」という反応を示せば「そういう冗談だよ」と笑い。
 女の子が「なにそれ面白い」と笑えば、「だろ?」と笑う。
 誰かが「オレも宇宙人なんだぜ」と言えば、「へぇ、お前もか」と言って笑う。
 だが、それだけだ。そこから話が進むことはなく、すぐに話題が変わる。
 そうしてクラスの間では、そうやってただなんとなく言っている時があるのだという認識が広まった。それすらもなんだか息苦しいものだなと他人事のように思ったものである。

 A君は何も言わず、私をただ見ている。
 私はくるりとシャーペンを一回りして、せっかくなのだから、彼が宇宙人だとして、何が言いたいのか。どういう意図があってそんな事を言うのか。彼の言葉を促してみるのも良いのではと思い、その言葉を受け入れることにした。

「そうなんだ。じゃあ私と一緒だ」
「お前も?」
「うん。私は木星の影に隠れた小さな星からやってきて、こうして音を出して、故郷にいる家族に発信してる」

 トントンと、シャーペンを叩きながら私は言葉を続ける。

「さっきA君は『日記が書くのが好きか』って聞いたけど、書いてる間のこの音が、私の星に届く唯一の音なの。私は毎日この音を宇宙に、惑星に向けて発信してる。その音が、言葉になって伝わっていくの」

 書き終わった日誌を閉ざし、カバンから一冊のノートを取り出す。そして、ページを開いて、A君に見せた。
 私が毎日書き連ねたノートの一部を見せ、そのまま私は尋ねてみる。

「書いてる内容はどうでも良いの。止めたり、払ったり、流れ字で書いたり、黒板にチョークで書いたり、『書く音』大事な宇宙人。それが私。A君は?」

 返事はない。
 A君は私のノートをじっと凝視している。
 ほとんど文字で埋め尽くされ、真っ黒になりかけているページを見て、彼はどう思うだろうか。その異常さに身を引くか、見なかったことにして話題を変えるか。どちらでも良い。特に言いふらされた所で止めるつもりもなければ、弁解する気もない。誰の迷惑もかけていないし。学校で書けなくなっても家で気が済むまで書き続けるだけだろう。私のこれは、そういうものだ。
 何も言わないのなら、それでも良いや。
 私はノートに書こうとシャーペンを握り直すと、A君が嬉しそうに笑った。

「すげえ」
「うん?」
「すげえ!お前の惑星、オレとは大違いだ!」

 A君はそれはもう興奮が抑えきれないという気持ちを全面に押し出して私に詰め寄った。頭がぶつかりそうになったので少しだけ椅子を下げた。A君の目は爛々と輝いていて、それはそれは嬉しそうだった。

「そうか、お前は書く音で交信する人種の宇宙人なんだな!音ってことは空気の振動による触覚を鋭敏化した人種か?オレの所は口にしないといけないんだ。口から発せられる言葉の細胞と空気が大事なんけど、ああそうだ。言葉にも地球人のいうような細胞が存在していてオレ達ケスクトレラ星人はその細胞組織を読み取っていくんだけど、地球人は一人で喋るのは奇天烈怪奇で、そういう習わしの人間が近くのいるの嫌がるからあんまり喋ることができないんだよ。木星ってこの銀河系にある大きな星だろ?俺がこっちに来た時近くに通ったけど、本当にデカい星だよな。ちなみにオレは銀河系を三つ超えた先にある四つ目の銀河から来たんだ。星はそれなりに大きいんだけど名前がなくてさ。あっ、名前がないのは銀河の決まりでなんだけど、多分それはこの銀河にはないことなんだんだよな?なんか名前あったほうが良いと思うか?と言ってもオレ名前つけるの苦手なんだけど……」



「どうした?」

 ようやくA君は舌を止めて、私に向かって首を傾げなら尋ねてきた。思ったよりも大きな目がこちらを見てきており、頬が赤い。けれどもそれは照れや怒りなどではなく、興奮しているというよりも、溜め込んでいたものを発散したことによる高揚感のように窺えた。
 視線を下げてノートを見るとまだ書きかけの学級日誌がそこにはあった。
 どうやら過去を振り返っている間に、彼の星への発信は終わっていたようだ。
 私は彼の質問になんでもないと答えて、代わりに尋ね返した。

「少しは発散出来た?」

 あの時と同じように。私はA君にそう尋ねた。小気味の良い音が校庭から聞こえる。今日は野球部が使っているらしいから誰かが打ち上げたのだろう。A君はきょとんとした顔で私をしばし見つめた後嬉しそうに笑ってきた。

「ああ。お前は?交信終わったのか?」
「私はもう少し。日誌もまだだし」
「そっか」

 私の様子に特に疑うことも心配する様子もなく、A君は頷くと鞄を手に立ち上がった。どうやらもう帰るようだ。A君はなんの躊躇いもなく私に笑い手を振ってくる。

「じゃあ、またいつか!」

 A君は毎日こうして私と会話はしない。私の他に、こうして発信する様を見ても特に気しない相手がいるのかも分からない。お互いに放課後、こうやって二人っきりになることがなければ、私達は別々の友達と一緒に過ごし、別々の方向に帰宅し、別々の時間を過ごしていく。
 きっとA君のこの言葉は祈りかもしれない。私の彼に対する情報が正しく認識され、自惚でなければ、だが。
 こうして声に出して、言葉にして、私の知らない惑星に向かって発信をしなければ、いつかA君は窒息するのだろう。溜まって溜まって、腹の中に抱え込んだそれは、私と会話をしている時に噴水のように口から溢れて、津波のように全方位に流していく。
 多分、彼のそれは一生止まることのない湧き水なんだろう。
 彼の住む星の人々が、「またいつか」という言葉の細胞から、形から、神経からどう汲み取られ、どれほど違う意味を含ませて吐き出されているのか、私は正しくは理解していない。A君に聞けば答えてくれるかもしれないが、私は今でもそれは聞かずにいる。あれはA君が星に向けて発信した言葉であり、この星にとっては大きくて、長い独り言なのだから。
 少しでも溢れる水が緩やかに落ち着いた時、きっと彼はまた違う一面を見せ、よりこの星に対して適応性を生み出していくことだろう。
 そうなれば多少は彼にとって、生きやすくはなるはずだ。
 だから私はA君がいなくなってからいつも返事をする。

「また明日」

 早く君のことを真に理解できる地球人が現れると良いね。
 私はそうして他人事のように願っておく。

 これは宇宙人であるA君が死ぬまでの、私とA君のほんの大したことのない普通の話である。